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舞台『だいこん役者』劇中ワード解説

こんばんは。
先日二日間かけて『だいこん役者』の旅をしてきました。
なんだか最近元気がないなぁなんて思っている人にぜひ見ていただきたい作品です。
学生でしたら半額で入れることもあるようですし、一般の方でも平日でしたらまだ空席はいくつか(てか割と多めに)あるので、ぜひ、大杉漣さん、藤山直美さん、その他の俳優陣、そしてなによりも浜中文一くんのこと、この機会に観てみてください。

この作品を観てからというもの、バイト先で仲の良いご夫婦のお客様を接客っすることがありますと、どうもこの舞台の主人公登鯉次郎とたつ子を思い出してしまいまして、接客中に大阪に思いを馳せながらだいぶ個人で和んでしまうことが多くなっております。いいんだか悪いんだか。でもほんとうにたつ子と鯉次郎は素敵な夫婦です。富雄が中をとりもちたくなる気持ち、十分わかります、重岡くんの乾いた日々が潤されるのもすごく。心のどこかが乾いてしまっている人、ぜひ大阪は上本町に足を運び心を潤してみてください。


さて、ここからは自己満で書きました『だいこん役者』の解説書となります。知識の乏しい私が自分的初日の舞台中に必死にメモして翌日までに調べたものですが、私同様にお困りの方がいるのであれば公開しない手はないと思い今回この記事を書かせていただきました。
これを読めば、もっと『だいこん役者』を楽しめるかも??



- 大根役者【だいこんやくしゃ】
大根が白さを「しろ」ということで「素人」とかけた、また下手な役者ほど白粉を塗りたくることとかけたなど、大根の白さを語源としているとされている。 大根は滅多に食あたりしないことから、「当たらない役者」の意味とする説もあり、文一くんは5/1の映画の舞台挨拶にてこちらの意味で説明をしてくれました。


- 京鹿子娘道成寺【きょうがのこむすめどうじょうじ】
1時間近くを1人の女方が踊りぬく女方舞踊の大曲。劇中では『娘道成寺』と略されます。白拍子(しらびょうし)の花子が道成寺の鐘供養に訪れ、舞を次々に披露するうちに鐘に飛び込み、蛇体となって現れるという設定。
歌舞伎への誘い | 『京鹿子娘道成寺』


- 小さいことからコツコツと【ちいさいことからこつこつと】

「これからもみんな親方にお世話にならなあかんやろ。座員、こころをひとつにしてちいちゃいことからこつこつと頑張っていきますのでどうぞ今後ともよろしゅうお願い致します」

私はぜんぜんピンと来なかったのですが、西川きよし師匠の座右の銘でありネタなのですね。観客にはよくウケていました。
<以下Wikiより引用です>
京都の仕事の帰りに稽古の事でやすしと揉め、背広がボロボロになるほどの掴みあいの喧嘩になった末、やすしは「解散や!」と怒鳴り散らしその場を後にした。後日事務所に向かい解散の旨を伝えると、事務所の偉いさんから「解散するのはかまへんが、台本も出来上がってるし残った仕事してもらわんと困る。」と諭され、思いとどまる。その時に発した「今後も小さなことからこつこつとやらさせてもらいます」というセリフが後に芸人仲間等で語られるようになり、いつしか「小さなことからこつこつと」というギャグになったとされる。文藝春秋 2014年1月号 368-375ページ「西川きよし芸能生活五十年を振り返る やすしさんはちょっと生き急ぎすぎた)


- 白雪姫【しらゆきひめ】

「この白雪姫は近々アメリカで総天然色の活動写真の活動が公開されるとの噂がありますから」

だいこん役者の舞台は昭和10年、西暦にして1935年。この「総天然色の活動写真」とはつまりカラーのアニメーション映画のことで、当時ディズニーが製作していたディズニー初の長編アニメーション映画で、史上初の長編カラーアニメーション映画『Snow White』(1937)のことをここでは指していると思われます。ちなみに、この『Snow White』が『白雪姫』として日本で公開されたのは1950年のことでした。


- 白浜【しらはま】

「もうこんな時間や、天保山から白浜行の船が出てしまうで」

紀伊、和歌山の白浜のこと。
白浜町の歴史【白浜町商工会】
大正末期から昭和初期にかけて、全町的に各地区に開発会社による開発が行われ、関西屈指の温泉街へと発展。東白浜地区では、昭和6年から昭和9年にかけて、東白浜温泉土地株式会社によって東白浜温泉として開発され、大浦地区は大浦温泉に、古賀浦地区は古賀浦温泉として、ほぼ同年代に開発。昭和8年にJR白浜駅が開通すると町全体が温泉観光地となった。
ということで、この劇中にも東京の開発企業と地元に古くからあるお店や劇場との間での立ち退き問題についても触れられていますし、上にリンクしたサイトに書かれているのはまさにそのことかと思います。劇中の立ち退きを迫られる町人に同情してしまうと、これからの人生で、不自然に開発された観光地というものを素直に楽しんで訪ねることができなくなってしまいそうです...笑


- 金色夜叉【こんじきやしゃ】
尾崎紅葉の作品。
秀才な間(はざま)貫一とお宮は許嫁の関係でありお互いを想う仲であったが、結婚間近に、お宮が富豪に求婚され、その際に贈られた指輪にお宮が心奪われそれを指に嵌めてしまうところを見た貫一は、後日熱海をお宮とふたりで散策している最中にお宮の発した「富山に嫁ぐことになったらどうする」という言葉を間に受け激怒し彼女に足蹴りを入れ、復讐のために高利貸となる。

「宮さん、アイや、お宮。ダイヤモンドに目が眩み。よくも、よくも僕を裏切ってくれたな」
「貫一さん」
「離せこの売女(ばいた)め。お前とは今宵かぎりだ」
「貫一さん。別れろ切れろは女のときに言う言葉。今の私にはいっそ死ねと言って下さい」
「宮さん、今月今夜のこの月を、来年の今月今夜のこの月を、僕の悔し涙で曇らせて見せるぞ」

これが劇中に言われる台詞です。
そしてこの下のが原作。

「吁(ああ)、宮(みい)さんかうして二人が一処に居るのも今夜ぎりだ。お前が僕の介抱をしてくれるのも今夜ぎり、僕がお前に物を言ふのも今夜ぎりだよ。一月の十七日、宮さん、善く覚えてお置き。来年の今月今夜は、貫一は何処(どこ)でこの月を見るのだか! 再来年(さらいねん)の今月今夜……十年後(のち)の今月今夜……一生を通して僕は今月今夜を忘れん、忘れるものか、死んでも僕は忘れんよ! 可いか、宮さん、一月の十七日だ。来年の今月今夜になつたならば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから、月が……月が……月が……曇つたらば、宮さん、貫一は何処かでお前を恨んで、今夜のやうに泣いてゐると思つてくれ」


- OSK【おーえすけー】
大阪松竹歌劇団の略。大正11年に「松竹楽劇部生徒養成所」が創立され、大正12年5月に大阪松竹座が開場し「松竹楽劇部」の第一回公演「アルルの女」が上演される。昭和18年(1948年)に大阪松竹歌劇団(OSK)に改称。1971年に近鉄グループの傘下に入るが、2002年に近鉄支援の打ち切りが発表され翌年5月31日、「OSK日本歌劇団」の解散式が行われる。
その年の8月に、「OSK存続の会」立ち上げ公演を近鉄劇場で上演。2009年、「㈱OSK日本歌劇団」として運営開始。» OSK日本歌劇団について | OSK日本歌劇団

と、つまり、松竹座をホームとして活動する関西Jr.の大大大大先輩にあたる劇団になります。松竹座担として放っておけない単語です。(え)


- 眉山下の秋田町【びざんしたのあきたまち】

「どこに行くん?」
眉山下の秋田町」
「秋田町言うたら、お女郎さんの町やないか」

徳島県の秋田町のことです。詳しいことは、こちらの人のブログに書かれておりますのでここでは省略させていただきます(笑)
人呼んでパンパン通り・徳島「秋田町遊郭」跡 | Nostalgic Landscape


- かっぽれ【かっぽれ】
「かっぽれ かっぽれ よいーとな よいよい!」のワンフレーズが有名な踊り。(?)
無形文化財の「住吉踊り」が流れ流れに江戸までたどり着き生まれたとされ、九代目市川團十郎が披露したことから有名に。
かっぽれの歴史|「江戸芸かっぽれ」家元 櫻川ぴん助


- 和歌山の百貨店【わかやまのひゃっかてん】

「和歌山の百貨店で働こうと思って」

この百貨店とは「丸正」のことではないかと思われます。紆余曲折あり現在は「フォルテワジマ」という複合施設に。


- 大河内傳次郎【おうこうちでんじろう】

「大阪で大河内傳次郎国定忠治の映画が公開されてそれを機に国定忠治が大人気になっているそうですよ」

戦前を代表する時代劇スターの一人。このときの映画とは『忠次旅日記』(1927)のことと思われます。


- 河原乞食【かわらこじき

「この河原乞食が」

役者・俳優などの芸能人を卑しめていう言葉。


- 筋者【すじもの】

「おのれ筋もんかい」

つまりヤクザ。上のセリフを投げられた清次の左肩、胸、腕には刺青が大きく入っています。


- 霞を食べて生きる【かすみをたべていきる】

「ひとは霞を食べては生きていかれへん、そういうことでしょ?」

仙人が霞を食べてい生きているという説から、「浮世離れして収入もなしに生きていく」ことの例え。


- 瞼の母【まぶたのはは】

「ぼくとうのとしに母親に捨てられてひとりぼっちになって、はじめてみたんが親方とたつ子さんの『瞼の母』やったんです。まだ子供やったけど泣きました。捨ててった母親思い出してずっと泣いてました」

長谷川伸の戯曲。
博徒番場の忠太郎が生き別れた母おはまと妹お登世を探しに江戸へ向う話。忠太郎はおはまと再会することができるがおはまは自分の息子は9つで死んだと言って聞かず、目の前の忠太郎を自分の息子と信じてはくれない。忠太郎は落胆してその場を去る。ちょうどすれ違いに母のもとにやってきたお登世はおはまを説得し、おはまも忠太郎を邪険に扱ったことを後悔し泣き出す。夜明けの荒川堤でふたり忠太郎の名を呼び忠太郎を探すが、忠太郎は返事をしない。ふたりが諦めてその場を去ったあと忠太郎は反対方向へと歩き出す。

俺あ、こう上下の瞼を合せ、じいッと考えてりゃあ、逢わねえ昔のおッかさんの俤おもかげが出てくるんだ――それでいいんだ。(歩く)逢いたくなったら俺あ、眼をつぶろうよ。


- 国定忠治【くにさだちゅうじ】
江戸時代後期の侠客(任侠を建前とした渡世人)。天保の大飢饉で農民を救済した侠客として、講談や映画、新国劇などの演劇の題材となる。

忠治「赤城の山も今宵限り、生まれ故郷の国定村や、縄張りを捨て、国を捨て、可愛い乾分(こぶん)の手前(てめえ)たちとも、別れ別れになる首途(かどで)だ。」
巌鉄「雁が鳴いて南の空へ飛んで行かあ。」
忠治「月も西山へ傾くようだ。」
定八「俺ぁ明日はどっちへ行こう?」
忠治「心の向くまま、足の向くまま、あても果てしもねえ旅へ立つのだ。」
定八・巌鉄「親分!」
忠治「俺にゃあ、生涯手めえという強い味方があったのだ。」

舞台はこの忠治の最後のセリフで締めくくられます。鯉次郎がたつ子に愛をさけんでいるかのような台詞に聞こえる、そんな意味でもきっと劇中劇に起用されたのでは?と私は思います。





以上。

やけにディズニーの白雪姫の話だけはドヤ顔ですが、これは観劇中に「もしや!」と思ったネタでもありまして、このネタに気づいていたひとがいるのならばすぐにお友達になりたいと思いますのでご連絡ください。
その他にも、ここの元ネタはこれなんだよ、これってじつはこういうことなんだよ、などございましたら是非教えていただきたいです!お待ちしております♡
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